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「そろばんはデジタルか、アナログか」問題が内包する怖い未来[コラム]

デジタルアナログの違いは、厳密な事をいわなければ、簡単に説明できる。
連続的なデータを扱うのがアナログで、段階的なデータを扱うのがデジタルだ。

そう考えれば、そろばんがデジタルかアナログかなんて、すぐに答が出るのだけれど、これがイメージに合わないせいでピンと来ないという人もいる。
しかし、言葉の意味はイメージどうこうとは関係なく、私たちが相互にコミュニケーションを取るための最小限のルールだ。
なのだけれど、イメージによる意味の破壊は、意外に進行している。

そろばんはデジタルかアナログか、という問題は、未だに定期的に表面化しては、「だからさー」と説明されて沈んでいく事を繰り返している。
実際、「そろばん デジタル」などで検索すると、その手の話題を取り上げたサイトが沢山見つかるし、まとめサイトもある。
そして、恐ろしいことに、今でも、「デジタルという見方もあるが、見方によってはアナログとも言える」などと書かれたサイトが結構な数、残っているのだ。

もちろん、答えはデジタルなのだが、この問題が幾度も浮上するということは、それだけデジタルとアナログがどう違うのかが理解されていないということなのだろうか。
たとえば、簡単な説明として、「連続的なデータを扱うのがアナログ、段階的なデータを扱うのがデジタル」というものがある。前述のそろばんの問題など、この説明で十分だと思われるのだけれど、どうも、そういうわけにはいかないらしい。

いわゆる「俗に言うアナログ」問題である。

たとえば、アナログゲームという呼称がある。これが別に、アナログ的なゲームのことを指している訳では無いのだ。それこそ囲碁のように、盤面が限定的で、そこに交互に白石と黒石を置くゲームは、段階的なデータが積み重なってゲームが進むので、デジタルゲームなのだけれど、誰もそういう言い方はしない。
戦略シミュレーションゲームも、デジタルで進行する曖昧さのないゲームだけれど、これもボードゲームであればアナログゲームと呼ばれる。

これは、アナログゲームという言葉が、コンピューターゲームが登場して、単にゲームというと、むしろコンピューターゲームを指すようになってしまったために日本で生まれた造語なのだ。だから、“コンピューターを使わないゲーム=アナログゲーム”ということになった。
この発想を、そのままそろばんに当てはめれば、そろばんはアナログ計算機だと言えてしまう。デジタル=コンピューターと考えている人は、もしかしたら意外に多いのかも知れない。

量子コンピューターにしても、結局は計算機であり計算する以上、それはデジタルデータを用いるのだろう。
特に、計算速度を上げるものとして考えられているのだから、無駄にデータを喰うアナログデータを直接扱うとは考えにくい。その意味ではコンピューターは多分デジタルから離れられない。ハイレゾオーディオが、どれだけ高音質になってもアナログレコードの音には追いつかないように、コンピューターはアナログをアナログのまま扱うと、その本来の用途や存在意義さえ見失うことになる。

よく、ドラマや映画で、「アンドロイドには心がない」という形で描かれるのは、この考えから来るのだと思う。
そして、そろばんのような「温もり」のある昔からの道具を「デジタル」と呼びたくないという感情も、多分、同じところから来ている。

確かに、コンピューターが計算機であり、AIも、そのコンピューター上で動くのであれば、「アナログ」をそのまま扱うのは難しいかも知れない。
しかし、それは、今の段階でそういうことを行うのが非効率だから、情報をデジタル化して扱いやすい形に変換しているというだけだ。アナログデータをそのまま扱えない、ということではない。

さらに、そろばんが実はデジタル機器であるように、「人の心」がデジタルデータではない、なんてことは誰も保証していないのだ。
脳がパルスの明滅で動いているなら、心だって二進法で動いているのかも知れない。ふわっとした結末を嫌い、結果を欲しがり、正解は一つと思い込みやすく、正義をかさに着やすい、白黒はっきりさせたがる人間は、デジタルっぽいではないか。

イメージで言葉を捉えて、そのまま流通させてしまうと、こういう、おかしな思考にだって簡単に行ってしまう。
電気的なものはデジタルで、手動のものはアナログ、というのは、イメージしやすいから定着もしやすい。

「言葉は変わっていくもの」という考え方と結びつけば、簡単に、「そういう使い方もアリ」になってしまう。もちろん、単に表現が時代に合わせて変わっていくのは構わないと思うし、むしろ言葉が増えていくのは、文章書きとしても面白く思う。「らぬき言葉」だろうと、「さ入れ言葉」だろうと、それを使うのが最適なシチュエーションで、それを使う方が確実に伝わると思えば、喜んで文章の中に使いたいと思う。
でも、何かを定義している「言葉」を、イメージで変えられたら堪らない。

SNS上でも、日々、沢山の言葉が間違って流通し、誤用され、崩されているけれど、それらは、変わっていいもの、増えていいものがほとんどだ。でも、言葉が定義する意味を変えるのは、ちょっと怖い。それは、同じ言葉を使っていても意味が伝わらないということになるからだ。

そういう形で、イメージが言葉の意味を変えて行くのは、中々恐ろしいのだけれど、「そろばんはデジタルか?」ネタが、ひょいひょい蘇る背景を考えると、それはそれでデジタル時代の重要な課題ではないかと思われてならない。

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