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パソコンが抱える未だ未解決の根本的な問題[コラム]

かつて、パソコンは使えなかった。使えないけれど、そこに可能性を見た人々が、無理やり使える事にして、強引に使っていたに過ぎない。
ただ、それらの先人の無理があったからこそ、現在、パソコンは問題なく仕事に使えるマシンになった。

しかし、ユーザーに無理させる、妥協させる、我慢させるという悪しき伝統は、何故か払拭されないまま、未だに続いていたりもする。
そこに、パソコンの未来があるのではないだろうか。


未だに、IT系、ガジェット系のライターは、パソコンやスマホのレビューの際にスペックを詳しく検証している。
確かに、かつて、その手のレビューで最も重要だったのはスペックであり、動作速度であり、機能の豊富さだったのだ。それは、常に最新パソコンと言われても、それが「使いたい」とユーザーが思うレベルに達していなかったからだ。

もちろん、ハードウェアだけでなく、ソフトウェアの機能も、仕事として使うことを考えた場合、まだ、快適に使えるという域には達せず、ユーザーは、常に何かを我慢しながら、少しでも快適に使えるように、様々な工夫を重ねていた。
かつて、アプリケーションのジャンルに「ユーティリティソフト」と呼ばれる一群があって、ユーザーは自分の仕事に合わせて、そのユーティリティソフトを自分のパソコンに組み込んでいた。

今では当たり前の、ファイルを保存したい時、その直前に使っていたフォルダが常に開く、といった機能さえ、ユーティリティソフトを使わなければ実現できなかった時代。スクリーンセーバーでさえ、お金を出してソフトを買ってインストールする必要があったのだ。
当時はディスプレイにCRTを使っていたから、長時間、パソコンを起動しっ放しにするユーザーにとって、スクリーンセーバーは必須の機能だったのにも関わらずだ。

そんな状況で、動作速度には常に不満があって、プリンタの画質も悪く、漢字かな変換も、システム付属のものは満足がいくものではなく、結局、ソフトウェアを別途購入しなければならない上に、それもとても満足が行くものではなく、だからこそ、アップデートを心待ちにしていた。
ハードウェアもソフトウェアも、常に、ユーザーにとっては、最新のものを使わなければならないものだったのだ。だから、予算が許す範囲内で、最新モデルを購入し、積めるだけのメモリを積んで、新しいユーティリティソフトを試す必要があった。

当時は筆者も、パソコン雑誌で最新のハードやソフトについて、それがいかに快適に使えるかという視点でのレビューを書いていたものだ。
また、パソコンを少しでも便利に使うためのちょっとした知識、いわゆるTipsがもてはやされたのも、結局、パソコンのスペックが低く、ソフトウェアもその機能を十全に発揮する事ができなかったからだ。

しかし、ここ12、3年は、もうハードウェア的には、日常の業務に使うには十分過ぎるスペックを持ってしまった。
今更、CPUのクロック速度を気にするのは、3Dムービーの制作者や、ゲーマーくらいのものだろう。

多分、パソコンは、その頃、ようやく道具になったのだ。では、それまでは何だったのかというと、きっと、あれはオモチャの一種だったのだ。
ただ、価格は高いし、それでなければできないことがあったし、便利な部分もあったから、無理やり「仕事に必要」だと思って使っていたのだ。

実際、ただ文章を入力してプリントアウトするというだけならば、20年前のパソコンよりもワープロ専用機の方が速かった。
10年前、キングジムが「ポメラ」を発売した時、「テキスト入力だけができる軽くて小さい専用機が欲しかった」というユーザーが沢山いたからヒットしたわけで、それはつまり、当時のパソコンがまだ、文章をただ入力するという使い方に関しては、鈍重だったということなのだ。

しかし、例えば、複数のウィンドウを開いて、他の文章を参照しながら書いたり、書いた文章の構成を大きく入れ替えたり、文字数を行単位でコントロールしたり、といった作業はパソコンの方が楽だ。
それは、多少の漢字かな変換のバカさとか、キーボードからの入力が画面に反映する速度の遅さとか、不意のフリーズといったデメリットを補ってあまりある機能だったのだ。
少なくともプロのライターにとって、それは本当に必要な事で、マウスが使える事で楽になる作業で、画面が大きいからこそできる作業で、だから、確実にワープロ専用機よりもパソコンを使う方が作業効率は上がったのだ。
もちろん、その文章を書くための環境としてのエディタソフトについては、常により良いモノを求めて、新しいものが出るたびに試して、その中で最も妥協できるものを使っていた。
実を言うと、それらの中で最高だったソフトは、今はなくなってしまい、現時点まで、それを越すソフトに出会わないまま、微妙に妥協しながら文章を書いている。

つまり、今や、パソコンやスマホはもうスペックで判断する必要が無くなっていて、デザインや好みで選べるようになったのにも関わらず、ユーザーは、どこかで妥協や我慢を強いられているということ。
そして、この問題について、あまり語られないという現状が不思議なのだ。

スペックを語られると今更と思うのに、使っていて感じる不自由については、何となく我慢して使ってしまう現状を深く分析する事が、これからのITの進む道なのだけど、それを意識する前に、世界はAIIoTに向かっている。そして、やっぱり、その方向でもユーザーに我慢を強いているのが現状だ。
この進歩の無さというのは一体何なのだろう。

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